那須の宿 ...お泊まりしてゆっくり休みたい。 |
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マイセン
マイセンと言えば「ブルーオニオン」の模様が有名です。「ブルーオニオン」といってもタマネギの模様ではありません。「ざくろ」、「桃」、「芍薬」、「竹」のモチーフが美しい青色で優美に描かれているのです。ざくろは子孫繁栄、桃は不老不死、芍薬は富、竹は成長を表しているといわれています。模様が中国風なので、洋食にはもちろんですが、和食にもとてもよく合います。カオリハウスで過ごしたお正月のお節料理は、ブルーオニオンのお皿に盛りつけたんですよ。
【プレート】
このブルーオニオンのプレートは、小さな頃からのお馴染みで、なんだかほっとするんです。お茶碗にお箸で、おかずをこのプレートにのせたり、とか、朝はトーストをのせたり・・・、とにかく、思い出一杯のお皿です。だからカオリハウスの食器を揃えるときでも、このマイセン、ブルーオニオンは外せませんでした。
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【カップ】
お茶をするときに、カオリは思わず柄をじっと観察してしまいます。このブルーオニオンのカップは、じっと見ていても飽きないし、マイセンの歴史に思いを馳せながらお茶するなんていうマニアな気分も味わえるのです。
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【急須】
このデザイン! マイセンちゃん、ありがじゅう!!と、マイセンのデザイナーさんの手を取りたい衝動に駆られます。日本茶はもちろんですが、中国茶もいけるでしょ。カオリ一押しの逸品です。
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17世紀後半から18世紀にかけて、ヨーロッパの上流階級の間では、日本や中国の白い陶器が流行していました。ポーランド国王およびザクセン選帝侯であったアウグスト強王は、特に古伊万里や柿右衛門を好んだそうです。そこで、強王は19歳の錬金術師であるベドガーに、白い磁器を作るよう命令しました。ベドガーは自然科学に詳しいチルンハウス伯爵の助言を求めながら、1709年、ヨーロッパで初めて白い磁器製造に成功したのです。
このノウハウが他国に漏れないよう、1710年、アウグスト王はマイセンのアルブレヒト城の中に磁器工場を造りました。アルブレヒト城はエルベ川沿いの丘の上に立つ城で、川と丘が自然の要塞となり、また城も堅牢に作られていたため、磁器制作の秘密工場を造るには最適だったのです。さらに、極度にノウハウが漏れることを恐れた王は、開発者であるベドガーもこの城に軟禁し、研究開発に没頭させます。ベドガーはストレスのため次第に酒びたりになり、37歳の若さでこの世を去るのです。
しかし、ベドガーは亡くなる2年前、1717年に、磁器への染付に成功していました。1733年、アウグスト王が亡くなると、この磁器への庇護がなくなると同時に、王の趣味ではなかったロココ調などの自由な発想の磁器が作られるようになっていくのです。特にマイセン人形と呼ばれる磁器人形は、現在でも人気がありますよね。そして、1739年、名作として名高い「ブルーオニオン」の絵柄が発表されました。カオリも大好きな模様です!このブルーオニオンの模様は、中国では明朝(1368〜1644)時代に完成された技法だそうで、マイセンはこの図案をシノワズリ(中国趣味)として取り入れたのです。日本の有田焼きにある左右非対称のモチーフも、ブルーオニオンの芍薬や竹などを描いておりますので、日本人にとっても馴染みのある模様なんですね。
その後1865年、マイセンは工場をアルブレヒト城からトリービッシュタールに移し、1875年にはおなじみの双剣のマークを登録商標としました。第二次世界大戦後の1946年に、ソビエト連邦の管理下に入ったマイセンですが、1950年にはドイツ民主共和国(東ドイツ)に返還され、国立マイセン磁器製作所となり、東ドイツ国家が全力を挙げて取り組む事業となりました。
1991年、東西ドイツの統一により、マイセンはザクセン州の国立施設となり自由経済社会に参加するようになるのです。壮大な歴史の中で受け継がれてきたマイセンの伝統と職人の誇り。マイセンの食器を使う時には、遠い昔に思いを馳せつつ、背筋を伸ばしてしまうカオリです。
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